有名な京都太秦、地名の由来は、渡来人?聖徳太子??
筑波大名誉教授、谷川彰英先生の大ヒットの『地名の由来』シリーズ、京都編から「太秦」の項をご紹介いたします!
筑波大学、谷川彰英名誉教授が実際に現地に赴き、地名の来歴や由来を推理するヒットシリーズ、『地名の由来を歩く』京都編から「太秦」の項をご紹介いたします!
京都に「太秦」という地名があります。
普通はなかなか読めない、いわゆる難読地名のはずですが、広隆寺などの古刹があることで知られていますし、女性に人気の嵯峨野に行く途中であることもあって、多くの人々は「うず(づ)まさ」と読むことだけは知っているのではないでしょうか。
太秦は京都市の北西部に位置し、京都駅からはJRの嵯峨野線(山陰線)で「太秦駅」を降りるのもいいし、小さな電車ですが京福嵐山線を利用し「太秦広隆寺駅」で降りるのもいいです。「太秦広隆寺駅」で降りると、目の前は広隆寺があります。
広隆寺の特徴は、平安京ができる以前からこの地に建てられていたことです。聖徳太子の時代というから、平安遷都をさかのぼること、二〇〇年近くにもなります。
広隆寺沿革によれば、広隆寺は、推古天皇一一年(六〇三)に建立された山城最古の寺院であり、四天王寺、法隆寺と共に聖徳太子建立の日本七大寺の一つであります。この寺の名称は、古くは蜂岡寺といい、また秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺などといわれたのですが、今日では一般に広隆寺と呼ばれています。
この地に渡来人の秦氏が住むようになって、その秦氏と聖徳太子は主従関係を結ぶことになりました。当寺の秦氏の中心人物・秦河勝(はたのかわかつ)のもとに太子から贈られた仏像が広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟(みろくぼさつはんかしい)像ではないかといわれています。
弥勒菩薩は法隆寺の夢殿に安置されていますが、弥勒菩薩とほぼ同じ形態をしており、朝鮮半島の影響によるものです。韓国ソウル市の博物館には、その原型となった弥勒菩薩が安置されていますが、見るからに同じです。
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